鳥取県で小型底引き網漁とアカイカ樽流し漁を営む漁師の地元・職業・商品・生活活性化サイト![]() |
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2003年10月27日(月)米子空港からインチョン空港へ。飛び立って暫くゴソゴソしていたら陸地が見えた。アレッ、隠岐島かと思ったが、島がこんなに長く続くはずが無い。エーッ、もう韓国!本当に韓国って近いんだ。朝鮮半島を陸地に沿って北上。これがけっこう低空飛行で稜線やら道まで見える。 入国審査はアメリカで感じたような威圧感は全然なく、しかもスムーズであった。ゲートを通ってすぐの両替所で5万円をウォンに両替。(3万でも充分と思ったが、お土産が3万、アカスリで1万を見ていたので、ちょっと多めの両替だ。)分厚い封筒を貰った瞬間、しまった!やはり多過ぎた! 空港に出迎えたのはチェ・ハンソンさん(男)とソク・ジョンヒさん(通訳、女)。この後2人は公式日程の全てに同行、お世話になりました。 45人乗りのバスに10人乗り、江陵(カンヌン)市まで高速道路を東へ。景色はほとんど日本と一緒。違いは右側通行と町に溢れるハングル文字のみ。19時過ぎに韓国初食事。いきなり韓国式定食。ラッキーにも私の隣は紅一点のソクさん。左足を立膝。おおっ、いきなり韓国!料理も美味しい!マシッソヨ!ユッケ、蟹のケージャン(?)、味噌スープ、おこげスープ、もちろんキムチも。20種類はあっただろうな。約1時間食べ続けた。汗が吹き出た。 バスは速度を上げた。カンヌンまで105キロを50分で走りきるなんて日本では信じられない。長い下り坂でも速度は落ちない。ギャーッ、もうヤメテェ〜!ハリウッド映画のカーチェイスみたい。▲▲タマは縮みっぱなし。 22時にホテルに到着。現代(ヒュンダイ)ホテル。何と5つ星。私の部屋は1泊16万ウォン(1万6千円ぐらい)で充分広い。ケーブルテレビで日本語の BS放送が2局入る。でもやはり韓国に行ったからには韓国の時代劇でしょう。ボーっと見ていたらそのまま寝てしまった。 移動で1日が済みました。 2003年10月28日(火)韓・日水産セミナー。 置き時計を見ると06:15。さすが漁師、オレ早起きジャン!韓国式に朝シャン(シャワー)、体調はちょっと下痢気味。唐辛子でお腹もビックリしているのだろう。 テレビをつけたら08:30!エーッ、ウソだろう。時計を見間違えていました。急いでネクタイを締め(普段やっていないから時間がかかる)、スーツを着る。パスポートと航空チケット、日本円の入った財布をフロントのセイフティ―ボックスに預け(拙い英語で)、レストランで朝食。 やはり朝から韓定食でしょう。これがまた激ウマ!集合時間に遅れているのは分かっていたが、セミナーの会場がホテル内だから、食後のコーヒーを。コピ チュセヨ。ところがホテルのコーヒーだから期待していたのにマズイ!とにかく薄い。コップの底が透けて見えそう。 急いでホテル内のセミナー会場へ。テーブル配置を見て、ビックリ。よくテレビの外交の場面で見るヤツだ。テーブルの上にはそれぞれの国旗がある。国際会議ってな感じだ。そして、これは凄いと思ったのが、同時通訳の2人の女性。テレビでよく聴くあの通訳だ。上品で流暢。日本人でさえあんな綺麗な日本語喋らないぜ。私は通訳ブースが気になってしょうがなかった。身振り手振りを交え、まるで本人が喋っているように通訳をやっている。しかも超美人(背も高い)。日本側が喋っている時も、通訳の必要はないがイヤホンは外さなかった。私にとって韓国語は心地よい調べに聞こえた。まさにミュージックそのものだった。
発表が終わり、いろいろ質問を頂き、しどろもどろながらも答え、私の番は無時終了。ところが緊張の糸が切れたのか、突然腹部に激痛が走りました。う、うっ、トイレに行きたい。しかし、今は韓国側の大学の先生が発表しています。中座したら失礼。せめて次の鳥取県側の発表までは我慢せねば。額から脂汗。早く終われと念じていました。志村研究員の発表が始まるや否や脱兎の如くトイレに駆け込みました。帰ってみると丁度志村君の発表が終わり、質疑に入ったところでした。志村君、発表聞かずにゴメンネ。 セミナー参加者、傍聴者も含め、ホテルで昼食。これも韓式定食。ここでは有名なカルビタンが出ました。マシッソヨ!私の前に座った東海(トンヘ)水産研究所のパク所長さんに私の発表を誉められた。漁師(韓国では漁業人、なんか半漁人みたいな言い方だ)が単価アップのために自ら行動を起こした事に感動したらしい。また、韓国ではアカイカをロケットイカと呼ばれ、たまに漁獲されると言う事を教わった。 午後のセミナーのメニューも終わった。通訳のブースから出てきた2人の同時通訳さんの憔悴振りに驚きつつも感動した。このセミナーで一番印象に残ったのはこの2人の通訳さんです。 夕食の歓迎会までの間に、アカスリに行って来ました。ホテルから歩いて5分。まるで日本によくある「けんこうランド」スタイルだ。志村くん(彼は40日間の韓国留学の経験がある)と一緒に行った。彼も初めてと言う事だ。入館料が350円ぐらい。中にはジェットバスやサウナがある。前を隠したりしないのが韓国スタイルみたいなので、郷に入れば郷に従え。カーテンで仕切っただけのアカスリ台が1台あり、アカスリとマッサージで1200円。若いおにいちゃんがやってくれた。痛くはない、快適でいい気持ち。どのくらい垢が出たかは分からないが、背中が白くなっていたのは驚いた。きっと生まれてこの方の垢が落ちたのだろう。そのためかホテルへの帰り道、風が妙に寒かった。 歓迎レセプションも韓式定食だ。今回は刺身(フェと呼ばれる)が大盛りだ。ここで驚いたのは乾杯の様式。4回、乾杯をした。乾杯の言葉が色々ある。「モドゥルイ ウイハヨ(みなさんのために)」「パダルン ハナダ(海は1つだ)」一番面白いのは「ウリガ ナミガ(私たちは他人?!そんな訳ねぇーだろうと言う意味)」これらの最後の部分(ウイハヨ、ハナダ、ナミガ)を皆で合唱する。
2003年10月29日(水)視察。まずは水産養殖試験所。規模も大きい。ヒラメも体長を大きくして放流するらしく、漁師に対する聞き取り調査ではヒラメの漁獲の3割はここの養殖ヒラメらしい。コレッて凄い数字だ。鳥取県では2%ぐらいの生存率だろう。 次は東海(トンヘ)水産研究所。パク所長、自ら研究のプレゼンをやって頂いた。昨夜の上機嫌の顔とのギャップに思わず吹き出しそうになったが、とてもエライ先生だなと言う事は分かった。昼食は本場の石焼ビビンバ。 そのあと漁港の視察。固定式刺網の作業をしていた。漁獲物はハタハタ、ソイ、アンコウなど。漁獲も少なそうだ。これで商売になるのかな。
固定式刺網の視察 あとは観光。北朝鮮の座礁した潜水艦が陸揚げされ公開されている公園。そしてほとんどの海岸線には有刺鉄線が張られている。こんな風景は日本にはない。私たち日本人は平和ボケしていると思い知らされる。 強行軍である。お土産買う時間は30分オンリー。Eマートというショッピングセンター。書籍コーナーで韓日辞典、CDコーナーでCD4点購入、雑貨で靴下2点。定番の韓国海苔とキムチは大量に、そしてラーメン、お菓子など目に付いたものはすべて買い物篭へ。 送迎会は江陵(カンヌン)道立大学主催。カンヌン市内の有名な料理店。ここでも韓式定食。噂には聞いていたエイが出ました。そしてハタハタ。こちら産卵地という事で、ぶり子がいっぱいだ。食べた感触はプチプチ。美味しい!凄い数の料理が出たがどれも美味しい。この唐辛子味と癖のない焼酎がうまくマッチしています。 2003年10月29日(水)朝、6時30分にホテルを出発。途中、サービスエリアで朝食。そのまんま「うどん」です。唐辛子を大さじ1杯、日本の唐辛子より辛くなくコク、味がある。 空港での出国手続き等はスムーズ。時間が出来たので免税店で民芸品等を購入。残ったウォンを日本円に両替。韓国は旅行者にとって何かと便利がいい印象がした。 米子空港到着。ところが税関で長蛇の列。なかなか出れない。後方からオバチャンが「バスの時間に間に合わない。」とクレーム。若い担当者がムッとした。 若い娘さん(韓国人だと後で分かった)がギュウギュウに詰め込んだボストンバッグを開けられ、それを閉めるのに四苦八苦していたのは、可哀想だった。閉めながら泣いているんじゃないかと思ったぐらいだ。担当者はマニュアル通りやっているのだろうけど、もうちょっと何とかなんねーかねと思ってしまった。 帰りのバスの間、隣に座ったヤン・ジョンホ君(国際交流員)といろいろ話が出来た。家族、将来の希望、そして北朝鮮に対する想いなど。生の韓国人の声を聞けたような気がした。 韓国にハマリそう。 カムサハムニダ。 |
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